最高裁判所第一小法廷 昭和53年(オ)1443号 判決 1979年7月05日
上告人
大阪市
右代表者市長
大島靖
右訴訟代理人
俵正市
苅野年彦
被上告人
日本共産党大阪府委員会
右代表者委員長
定免政雄
被上告人
植田耕治
右両名訴訟代理人
宇賀神直
外三名
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人俵正市、同苅野年彦の上告理由について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。そして右事実関係のもとにおいて、大阪市教育委員会が大阪市公会堂条例(昭和二六年大阪市条例第七三号)四条二号、二条但書により公会堂使用許可を取り消したことは、右条例の適用を誤り、地方自治法二四四条二項にいう正当な理由がないのに公の施設の利用を拒んだものであつて、違法であるとした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、違憲の主張を含め、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づき若しくは原審の認定にそわない事実を前提として原判決を論難するものにすぎず、いずれも採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(戸田弘 団藤重光 藤崎萬里 中村治朗)
上告代理人俵正市、同苅野年彦の上告理由
原判決および第一審判決(以下単に原審という)には、法の下の平等を定める憲法一四条、公共の福祉について定める同一二条、個人の尊厳について定める一三条ならびに公の施設の利用について定める地方自治法二四四条二項三項の解釈適用について明らかに判決に影響を及ぼす違背がある。
一、原審は、地方自治法第二四四条の解釈適用を誤つている。
(一) 原審は、結論として本件集会は、政党として当然な政治活動のための政治的集会であり、控訴人が軽々に集会の内容の当不当を論じて許否を左右することはできない。本件取消処分は地方自治法第二四四条二項の解釈適用を誤つたものであるとしているが、その理由たるや極めて一方的かつ独断的、右同法同条および憲法二一条の集会の自由の名の下に後述の「差別の自由」を放任し、差別助長拡散を是認する結果をもたらし、極めて違法不当な判決となつている。
右地方自治法第二四四条は、普通地方公共団体は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒み得ず、かつ、住民の利用について不当な差別的取扱いをしてはならない(地方自治法二四四条二項、三項)と規定している。同条の「正当な理由」は他の基本的人権との衝突があるときは、前記憲法一二条ないし一四条と同二一条の法益衡量の問題として慎重に判断さるべきものである。
上告人は、被上告人委員会および同党市会議員団の、本件一連の経過を含めた本件集会が、部落解放同盟の解放運動の進め方や大阪市の同和行政に対する批判を含むものであることは否定しないところであるが、しかし、表現の自由として擁護さるべき批判には、それなりの節度と事実に基くことが要求されると考えるところ、批判が、単に批判として放任される域を逸脱して、部落解放同盟、同幹部ひいては被差別部落住民に対する事実無根の主観的危惧(詳細は控訴審昭和五三年八月三日付控訴人最終準備書面第一御参照)を誇大に宣伝し、不当に攻撃して、市民の同和問題に対する理解と認識を誤まらせ、このことにより、市民の協力なくして実施できない緊急かつ重要課題である同和行政の推進を著しく阻害する虞れがあつたもので、本件集会を表現の自由、批判の自由や集会の自由という本来正当にこそ行使さるべき権利を乱用した違法不当な権利行使であるから拒否の「正当な理由」ありとして本件取消処分をなしたのである。
ところが、ごく最近にいたつても、名を「言論」とするが、結論において、原審と同様、「歴史的社会的理由による差別待遇を温存し助長するような言論をなす者があつたとしても……言論に対しては言論をもつてすべき現代社会の常法であろう。」(加須市長選挙無効請求事件東京高判昭和五一年二月二五日判例時報八〇六号二五頁)と傍論ではあるが差別発言を言論の自由と呼び、差別された者は言論をもつて対抗せよというが如き、憲法一二条ないし一四条の精神を踏みにじる判決が出ている。
右の不当な判決および原審は、差別の拡散についての認識を根本的に誤るものである(たとえば、街頭のビラ配布について、街頭をよごすという理由のみではそのビラ配布を禁じることはできないであろう。なんとならば散らばつたビラを回収除去すればこと足りるからである)。
ところが、差別発言等の差別行為は、これが、一たん具現すると、現在の社会意識の中では、人の意識に巣食い、これを拡散させていくのである。したがつて、差別発言等に対して、言論をもつて対抗することも必要であるが、これによつて差別発言等による悪影響を根本的にとりのぞくことはできず、差別をしない、評さないということこそが、対抗手段として認められるべきなのである。
(二) ところで、昭和四十四年当時における多くの市民の意識では、部落解放同盟は大阪市における部落住民全体であるという認識であつたから、市民にとつては部落解放同盟攻撃は被差別部落民全体を攻撃するのと同じような意味をもつていた。すなわち、被上告人の批判、攻撃の対象が「解放同盟内の一部幹部」であつたとしても、それは社会的には、つまりキヤンペーンの受け手としては、被差別部落民全体と同一視されるのである。
したがつて、部落解放同盟の抗議行動が「フアツシヨ的暴挙」だとの主張を報道するようなことは、部落解放同盟=被差別部落民が無茶苦茶なことをする暴力集団であるかのように市民に印象づけ部落差別を温存助長し、部落解放推進に否定的影響をもたらすものであるといわざるをえない。また、そもそも多くの市民は、部落解放同盟の抗議行動が「赤旗」や「大阪民主新報」で報道しているように「フアツシヨ的暴挙」であるかどうかの公平な判断材料をもたず、しかも被差別部落に対する予断や偏見を根強くもつていることが見うけられるのであるから、こうした報道に接した市民は事実の真否を考える前に部落解放同盟=被差別部落民は「やはりそうか」「解放同盟なら、部落の人ならやりかねない」との差別意識をより深くするおそれがある。このことは部落解放推進に否定的影響をもたらすものであるといわざるをえない。
被差別部落の人たちに対する差別的な予断と偏見のある中では、部落解放同盟を暴力集団視する記事は受け入れられやすく、「部落解放同盟ならやりかねない」「部落は何をするかわからない」という差別的な意識に導びかれるおそれがある。こうした全般的な意識状況のもとで、解放同盟幹部は無茶苦茶なことをする暴力集団だとの内容をもつ「赤旗」「大阪民主新報」、同号外を配布することが市民の被差別部落に対する認識にどのような影響をもたらすだろうか。市民はすすんで被差別部落の人と縁組みしようと変わつていくだろうか。企業は部落の人を採用するのに積極的な態度をとるようになるだろうか。まさに被差別部落住民の基本的人権の侵害の拡大のおそれが大であるといわざるをえない。
(三) 差別発言等の差別行為を、言論の自由だ、集会の自由だといつて是認するのは、明治四年の「解放令」にも劣る人権意識といつても過言ではない。差別発言等により、助長された差別意識は、百年かかつても払しよくされなかつたことは、部落解放の歴史がもの語つている。
原審の地方自治法の解釈は右の点よりしても誤りである。
二、原審は憲法二一条と同法一二条ないし一四条、その具体化としての二五条の解釈を誤つている。
(一) 部落解放は、被差別部落住民の法の下の平等、個人の尊厳を確立し、生存権を確保する手段であり、また、そのこと自体目的である。従つて、明治四年の「解放令」以降なんらの具体的権利保障規定を持たなかつた被差別部落住民にとつて、現憲法は、部落解放を実現する憲法上の基本的人権の保障規定として強い光を放つ至高の灯台として登場したのであつたが、日本の経済的、政治的、人権感覚的貧困は、その希望を裏切り続けてきたのである。(部落解放と行政の責任に関しては、乙第五一号証大阪市立大学教授原田伴彦意見書御参照)
生活保護法、失業保険法等の福祉立法は、戦後いち早く、憲法第二五条の生存権規定を具体化するものとして立法化されたが、これらの福祉立法は、被差別部落住民にとつては、実態としては、差別の原因である低位性からの脱却として作用しなかつた。つまり、これら福祉施策も、字が読めずまた字が書けない部落の人々にとつてはその申請ができずこの対象からもれてしまうことになり、また、失業保険にしても、その対象とならない零細企業への就職とか、または零細自営業(くず買い、靴なおし等)が多かつたことを考えると、この対象になりえないものが多かつたという実態があつたのである。まさに現憲法が保障する教育権、婚姻の自由、職業選択の自由も、被差別部落住民を素通りしていたにすぎない実態があつた。
被差別部落住民は、右のように憲法上の諸権利が自分達には不完全にしか保障されていないという実態が、基本的人権の侵害であることを部落解放運動という部落解放を意欲する運動の中で自覚し、二〇年にわたつて、根気強くその努力を積み重ねて、昭和四〇年八月一一日の国の同対審答申を打ち出させたのであつた。
このように、被差別部落住民の権利の保障が遅れた最大の原因は、差別意識の循環作用=すなわち部落差別による社会的、経済的に低位の状態にある部落を見て差別意識をかきたて、その差別意識をもつてさらに低位の状態におしこめるという同対審答申でいう実態的差別と心理的差別の悪循環の中に、どつぷりとひたつていたことによるのである。
しかし、同対審答申は、国や地方公共団体は、速みやかに部落解放を実現せよと訴えたのであつた。
ところが、その後同対審答申を受けた部落解放のための唯一の立法である同和対策事業特別措置法(以下、同対法という)が、被差別部落の人々の実質的な自由と平等を実現すべく、同四四年七月一〇日に公布施行され、同和対策事業がその緒につくやいなや、こんどは、逆差別意識なる差別が発生するに至つたのである。たとえば、一般の学校がよい施設になつても、自分達の学校もよくしてもらおう、よくなるであろうと思い、まずあの学校はけしからんというものはいないのに、被差別部落を校下にもつ同和教育推進校がよくなると、「なんで、そんなによくなるのか」という差別意識の類である。ここに至つて、いかに部落差別が根強く日本に巣食つているかを改めて認識させられるに至つたというほかない。
右の差別をも含めた部落差別を見抜くのには、すぐれた憲法感覚が不可欠である。
いかなる装いをこらそうとも、部落差別は、憲法違反であり、差別の自由は、所詮、憲法上許しえない基本的人権の侵害であるとの確認が、本件裁判でなされなければならないのである。また、差別の自由を許すことは、被差別部落住民にとつても、部落差別の解消を目指す行政の立場にとつても、部落解放百年の歴史を逆戻りさせる「明白にして現在の危険」でもある。
(二) 集会、とりわけ政治集会の自由はおよそ民主政治存立の基礎を成す最重要な人権の一つであることはいうまでもなく、日本国憲法の下でも人権体系の中核を成す精神的自由権の一態様として強い保障を与えられている。しかし、集会の自由がいかに重要なものだといつても無制限に許容されるものではなく、公共の福祉による制約を伴うものであることはすべての基本的人権を通じて認められている内在的制約に属する。蓋し、思想の外部的表現の自由は、個人的な内心の自由と異り、「行為の性質上、他人に対し、社会に対して働きかけるという社会的な性質をもつから、自由な表現行為が社会に害悪をあたえる危険があるときは、そのかぎりにおいて、公共の福祉による制約をまぬがれることはできない」(俵静夫・新版憲法(有信堂、一九七六年)七六頁)のである。この点、公の施設を利用しての集会の自由は管理主体の定める利用条件を離れて独自に存立することを得ず、これを充足してはじめて許容されるものであるし、それはまた対国家的には絶対的であり得ても、国民相互間では相対的とならざるを得ない面がある。
しかるところ、部落差別の存在は民主社会にとつて罪悪であり、恥辱とされており、部落の解放という「日本国民の一部の集団」(同対審答申)たる被差別部落住民の人権の回復とその実質的保障の確立はこれまたわが国にとつて民主社会存立の重要な条件となつている。さればこそ、部落問題の早期解決は、現在、日本国憲法の精神にのつとり、同対審答申とそれの結果として生れた同対法によつて、国、自治体および国民全体が取組むべき緊急重要の課題となつている。
ところで、個々のケースにおいて諸々の権利・利益が互いに矛盾・衝突する場合、または衝突の危険が確実に予測される場合、それらの調査を図る実質的公平の原理として、憲法上、公共の福祉(一二条、一三条)の原理がある(宮沢俊義・憲法Ⅱ(法律学全集、有斐閣、一九七一年)二二四頁)。しかしながら、公共の福祉それ自体は抽象的、一般的原理であつて、個々の場合の具体的条件について自由統制のより適正な制約根拠=「基準」の設定が必要となる。
そこで、本件を憲法、法律上適正に判断するために考慮されるべき点として、以下若干の点を明らかにしておきたい。
(1) 「明白かつ現在の危険」の原則の適用
まず、公共の福祉の解釈基準の一つとして、明白かつ現在の危険があるとの基準を通用することの可否である。一般に、集会や集団行動は「一般公衆に開放されている公共施設を独占的に利用することが多く、そのため、一般公衆による利用と衝突したり、あるいは他の集団との重複・競合による混乱を引き起す可能性がある。そこで、それらの利益調整のために法的規制が必要」(梶原愛巳・山田徹彦編・教材憲法講義要綱(弘文堂、一九七八年)六九頁(中島義治執筆))となる。この点で、最高裁判所は、昭和二九年、「新潟県条例事件」において、人権行使の規制の基準・方法が必要最小限度に止まらねばならないという観点から、届出制の原則、合理的かつ明確な基準の原則とともに、集団行動が「公共の安全に対し明らかに差迫つた危険を及ぼすことが予見されるとき」には、これを許可せず、または禁止できる旨の規定を設けることができるという原則を打ち立て(最高裁判所昭和二九年一一月二四日大法廷判決(刑集八巻一一号八六六頁))、集会の自由に対する条例規制の指導原則を定立した。この二九年判決が示した諸基準は、のち、昭和三五年の「東京都条例事件」(最高裁判所昭和三五年七月二〇日大法廷判決(刑集一四巻九号一二四三頁))判決で修正されたが、実質的実害をもたらす「明白かつ現在の危険」の原則は諸種の社会的利益を調整する基準としてその後の学説、判例に少なからざる影響を与えている。この原則はいうまでもなくもともとアメリカにおいて、事実判断の基準として、のちには違憲立法審査の基準として判例上形成・維持され、いろいろの評価が与えられているが、その理はすべての国民に平等に人権を尊重・擁護するための制限として、本件のごとき現代的課題に対する対処として行政による事前規制の判断基準としても適用され得ると考えられる。
本件において、行政当局たる大阪市教育委員会は、本件集会が前述のとおり部落解放、同和教育に否定的影響を与えることを主たる理由として、不測の事態の発生をも併せ考慮して、右使用許可を取消したものであること原審の認定するところである。すなわち、この場合、上告人としては集会の自由を規制せず、そのまま容認したときの利益、価値と、規制することによつて維持される社会的な利益、価値との法益を比較衡量し、その上で、現時点において、本件集会をそのまま受入れるときは、現下緊急・重要の課題として取組んでいる部落解放と同和教育の推進に著しい支障を及ぼす明白かつ現在の危険があるとの判断に到達したものである。もとより、公の施設は公的見地から公衆の利用増進に最適な方法で管理することが適当であること法の趣旨とするところであるが(地方自治法二四四条一項)、行政庁が条例の適用につき公益的判断をなすに当つては、法の趣旨と公物管理上の必要とを十分勘案考慮した上で、施設を利用しての集会の自由を憲法全体の理念に則り、差別の解消を通して住民全体の福祉の増進を図る立場から、前記基準に照らして本件の処分に及んだものである。本件の処分が、管理権の範囲を逸脱して、これと全く関係のない他の目的によつて、集会の自由そのものを制限する目的でなされたものでないことは明白である。
(2) 現代憲法下の行政の課題
さらに、本件のように被上告人らの集会という行為(権利行使)と疎外されてきた者および集団の権利、利益の維持、保全とが対立、緊張の関係に立つ場合の調整の基準についてはなお考慮すべき点があると思われる。
それは、終局的には、「人間の尊厳」と「人間の平等」の二大原理に求めざるを得ない。まず、現代の法治行政においては、現代憲法の要請する「人間の尊厳」という基本価値に照らし、自由と平等の調和を図つていくことが運用上の重要な指導原則として考慮に値いするものとなつている。「人間の尊厳」は、「最高価値として法秩序の頂点に立つ」ものであり、また「他の基本権の思想上の出発点」として「広く現代世界の諸憲法が共通に予想しているところ」(小林直樹「人権理念の根本的検討」公法研究三四号(一九七二年)三頁以下)であり、「現代国家において普遍的に認められている規範である」(橋本公亘「人間の尊厳」青林通信二三号、小林「前掲論文」より引用)。また、「憲法上の基本権はすべて同列にあるものではなく、人間の尊厳という基本価値に照らして、またその時代の具体的状況に応じて、優劣の関係は存在すると思われる。しかし、表現の自由の優越的地位と財産権の劣位的地位という単純な公式論だけで割り切れるものではない。それぞれの権利の性質に応じて、個々にその内容や制約の諸問題を検討することが必要である」(橋本公亘・憲法(現代法律学全集・青林書院新社、一九七二年)二一四頁)とも指摘されている。また、「平等の原則」は、これを「国政上の指導原則として考えなおしてみる必要があろう」と右同教授は強調している。「すなわち、もし人間を人間として扱わないような社会的慣行がある場合には、国家はこれを傍観することは許されず、進んでそのような状態を改めるために必要とされる立法や行政措置をする義務を負う、と考えてよいのではなかろうか。」(橋本公亘・憲法の話―現代における自由と平等(日本放送出版協会、一九六九年)七〇、七一頁)と。日本社会における差別をなくし、真に平等な社会を実現していくことは、前述のように、今や日本国憲法の要請する「公序」にほかならない。右の二大原理は現代における立法、司法、行政の各レベルの判断形成と規制措置において考慮される調整基準として、特に重視されるに値いするものと考えられるのである。
原審は、これらの憲法上の基本問題の解釈について誤つた認識しか持つていなかつたことにより、ひいては、地方自治法二四四条の解釈をも誤つたものである。
(3) 右に述べた点につき、現代憲法の潮流と国際的思潮の観点から、若干付言しておきたい。
(イ) およそ、現代二〇世紀憲法の課題は、近代市民憲法が保障した形式的な自由と機会の平等がもたらした現実の社会的不公正を実質的平等の実現・確保の見地から是正することに置かれている(例えば、阿部照哉「現代社会における自由と平等」磯村哲編・現代法学講義(有斐閣・一九七八年)一五二頁以下御参照)。例えば、イタリア共和国憲法(一九四七年)三条二項は「市民の自由と平等とを事実上制限し、人間の完全な発展と、国の政治的、経済的および社会的組織へのすべての労働者の実効的な参加を妨げる経済的および社会的な障害をのぞくことは、共和国の任務である。」と規定している。また、フランス本国外に居住し、異なる宗教を持つた海外フランス人の裁判官志望者のために、採用定数の一〇パーセントを留保して彼らの裁判官への任用を促進することを目的とした特例法(裁判官の身分に関する法律の一部改正)について、一九六〇年一月、フランスの憲法院はこれを合憲と判示している(憲法院一九六〇年一月一五日判決。評釈として、高野真澄「人種による差別の撤廃に関する組織法の合憲性審査」別冊ジユリスト・フランス判例百選(一九六九年)二五―二七頁)。右の問題が人種の解放に政策的契機を持つ点で、わが国の部落解放問題と同一に論ずることはできない面もあるけれども、「法形式的に機会や権利の平等だけでなく、実質的に手段や条件の平等を確保することによつて――それは現存の自由と衝突することになるとしても――市民もしくはその一部を事実上の不平等から解放し、幸福の追求における競争を現実化させようと努め」右立法者の意思(政府提出法案)とこれに司法的承認を与え権利の平等についての形式的な法解釈を克服しようとした裁判官の態度は現代憲法思想の動向に沿つた適合的なものと評さざるを得ない。
(ロ) 国際社会においても、差別の扇動は厳しく非難されるところである。
一九四八年世界人権宣言が国際連合第三回総会で採択され、すべての人間は、あらゆる差別から解放され、基本的人権を享有する権利を有することがうたわれ、一九六五年には、国連第二〇回総会で「あらゆる形態の人種差別撤廃に関する国際条約」(人種差別撤廃条約)が採択され、翌一九六六年国連第二一回総会で、国際人権規約と呼ばれる「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約」(A規約)および「市民的および政治的権利に関する国際条約」(B規約)が採択された。
これらの国際条約は、人種差別は勿論、日本で緊急の課題とされている部落差別の撤廃に関しても、「社会的出身」「門地」による差別を禁止することによつて、その根絶をうたつている。
とりわけ、一九六五年の「人種差別撤廃条約」は、その二条一項で、「人種差別」の定義を置き、「この条約において、「人種差別」とは、政治的、経済的、社会的、文化的又はその他のすべての公的生活分野における人種及び基本的自由と平等な立場における承認、享有又は行使を無効にし又は損なう目的若しくは効果を有する人種、皮膚の色、門地又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、除外、制約又は優遇という。」と規定し、その四条で、「いかなる形態の人種的憎悪及び差別をも正当化し又は助長しようとするすべての宣伝及びすべての団体を非難し、そのような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目ざした迅速かつ積極的な措置」を当事国に約束させている。即ち、あらゆる差別の助長又は扇動は、ともに国際社会では厳しく非難されているところである。
一方、欧州列国の国内法をみると、フランスは、一九七二年人種差別禁止法で、人の集団と人に対して、その出身を理由に差別を扇動した者に刑罰を課し、イギリスは、一九六五年の人種関係法で、まず公共の場所での人種差別を禁止し、七六年には、さらにこれを拡大し、西ドイツは刑法一三一条で、人種差別の扇動を文書で頒布等することを罰している。
右のように、国際的潮流ないし前記欧州三国では、差別の扇動は禁止されており、その限度で言論集会の自由も制限されているのである。
部落差別が根強い日本では、部落解放同盟の糾弾につき、暴力的だ、フアツシヨ的だ、とその一面を歪曲誇大に宣伝することは、差別行為そのものでないとしても、部落解放に無理解な市民に大きな偏見を与える。その意味で差別の扇動として、国際的な差別撤廃の運動にも逆行するものである。
以上の諸点よりして、原審判決は破棄さるべきものである。